あの方 ベルモット編 黒の組織考察

シャロンとクリスは本当に同一人物なのか?(思考・癖編)-シャロン&クリス別人説考察用記事

こんにちは、鳥子です。

今回の記事では、シャロンとクリスの別人説、思考編と題して、本当にシャロンとクリスは同一人物なのか?ということを考えるために、シャロンとクリスの考え方の違いについて見ていきたいと思います。

 

神様はいる?いない?-思考の違い-

今回触れたいのが、シャロンとクリスは同一人物とされているが「思考に違いがあるため別人なのではないか?」という点です。

その思考の違いに関するひとつの要素が「神様がいるのか・いないのか」という考え方です。

 

まずは、1年前のニューヨークの事件です。この事件で、新一と蘭、そして有希子と会ったシャロンは「神様に感謝しなきゃ」という蘭に対して、

この世に神様なんているのかしら?

本当にそんな存在があるのなら一生懸命生きている人間は、誰も不幸にはならないんじゃない?

そう…私にエンジェルは微笑みかけてくれなかったもの…一度もね

と発言しています。(このエンジェルには宮野エレーナの意味も含まれていると考えていますが、今回の記事では一旦置いておきます。)

そして、舞台開始前に、鎧が天井から蘭に目掛けて落ちてきた際も「やっぱり神様なんていないわね」とシャロンは神様の存在を否定しています。

 

一方、ベルモットが変装した通り魔は、階段で出会った蘭に対し、

まぁ恨むんなら、こういう結末を用意していた神様ってやつを恨むんだな

と事件の冒頭のシャロンとは別の考えとも取れる発言をしています。

また、34巻の隠して急いで省略で、ベルモットがジンへ送ったメッセージも「ねぇ、答えてジン、天国ってあると思う?」であったり、42巻の二元ミステリーや90巻の裏切りのステージでは、蘭のことをエンジェルと考えていることから、天国や神様の存在を認めるかのような思考をしていることがわかります。

 

新一、蘭、有希子を前にしたシャロンのニューヨークのセリフとの違いから違う考えを持つ人物なのではないか?と疑いがあります。

 

これについては、シャロンとクリスが同一人物だからこその発言では?と思う人もいるかもしれません。

 

どういうことかというと、ニューヨークの事件の冒頭でのシャロンの「エンジェルは微笑まなかった」、「神様なんているのかしら?」と発言し、

その後、新一と蘭に助けられたことにより「エンジェルの存在を認めるような考え方に変わった」ということです。

 

しかし、実際には通り魔に変装したベルモットは、蘭と階段で遭遇した段階で「恨むならこういう結末を用意していた神様を」と発言していました。

蘭に助けられる前から「神様がいるような発言」をするのは若干違和感がないでしょうか?

 

時系列 シャロン クリス
1年前、ラディッシュ変装解除後 神様なんているのかしら?
舞台前 やっぱり神様なんていないわね
階段で遭遇 神様ってやつを恨むんだな
新一と蘭が通り魔を助ける
通り魔遭遇翌日 私にもエンジェルがいたみたい
ジンへのメッセージ 天国ってあるとおもう?
二元ミステリー Move it, Angel!
裏切りのステージ ダメよエンジェル

 

通り魔の性格をトレースした?

さてここで、ベルモットは通り魔の性格や思考をトレースしたのではないか?という疑問があります。

変装術の見抜き方としては、本人や当事者しか知らない内容を、変装者が把握していなかったり、変装者の性格、思考がにじみ出たりする場合や、物理的状況、身体的特徴から絞ることで見抜くことができます

 

例えば、キッドが変装したときで言うと、

  • 部屋の外に出たのが毛利蘭だけ
  • 小五郎が煙草をすわなかった
  • 真純の性別をしらなかった
  • 園子の指の長さが違っていた
  • 阿笠博士のコナンの呼び方

などがあり、

赤井秀一で言うと

  • 沖矢と赤井の口癖の一致や
  • 沖矢の状態で灰原を護衛しているという目的、動き

などがあります。

有希子で言うと

  • マカデミー賞で滲み出た優作の可愛さ

などが挙げられます。

 

これらの点から、変装者が、変装対象の人物に完全になり切るのは難しいと言えます。

また、性格の点で言えば、通り魔はあの後に自殺したことになっているのですが、おそらく本当は殺害されたと考えられます。

このことから、赤井をおびき出すためだけの短期の変装のために、これから殺害し自殺として処理する通り魔の性格まで、ベルモットが真似る、トレースする必要性はありません。

 

つまり、通り魔の発言は「ベルモットの意思」がそのまま現れていると考えられます。

 

神様を恨むんだなの意味

ここで話を戻すと、仮に通り魔の「神様を恨むんだな」という発言の必要性を考えるとすれば

シャロンとクリスが同一人物の場合

  • シャロンは、出会ってすぐに蘭に対して、神様なんていないと発言してしまっているために、通り魔として会った際に、念のため、逆の発言である、神様がいるという発言をしなくてはならなくなった
  • もしくは、神様に感謝しなきゃ、と言っていた蘭に対する、嫌味や皮肉

などが考えられます。

 

ただ、1つ目に関しては、そもそもそんなややこしい使い分けをわざわざしなくても「発言しなければいいだけ」です。

シャロンとクリスが同一人物として考えた場合、より意味が通るのは2つ目の嫌味や皮肉だと考えられます。

同一人物で考えた場合の解釈を簡単にまとめると、当初は、神様もエンジェルもいないと考えていて、通り魔として出会った際に嫌味を言ったが蘭と新一に助けられたことにより、天使はいると考えが変わったという解釈になるでしょうか。

 

シャロンとクリスが別人の場合

  • 単純に通り魔とシャロンは別人だから、神様はいる、いないの別々の考えだった

などと考えることができるでしょう。

このニューヨーク編での変装は、短期の変装であったため、通り魔の性格はトレースしていなかった可能性が高いです。

そのため、通り魔の「神様を恨むんだな」という発言は、単純に変装したベルモットの「神様はいる」という意思がのっかっていると考えられます。

そういった意味では、神様がいるのかいないのかという考え方において、シャロンと通り魔、つまりベルモットは、別人であるかもしれないという線は消えていません。

 

ここまでのまとめとしては、

  • シャロンとクリスが同一人物なら、通り魔の蘭への、神様ってやつを恨むんだなというのは、嫌味を指している
  • シャロンとクリスが別人なら、そもそも思考が違ったから、神様がいる、いない、という考え方が違ったということになります。

あくまでも、思考の違いは、指紋編と同様に、ありえないことはないかも?という程度です。

 

 

おまけ・癖

癖に関する現在の考えを述べます。ちょっと都合良すぎだろと思われるかもしれませんが、少々お付き合いください。

 

私は、シャロンとベルモット、つまり、クリスは別人で、かつ親子だと考えているため、2人の思考は異なると考えています。

しかし、思考が異なっても、癖については親子で似ているとも思っています。

 

目をつむる描写

まず1点目が、目を瞑る描写です。

私は、ベルモットとシャロンの共通の癖として、目をつむっているときはウソをついている、なにかをはぐらかしているのではないか?と考えています。

 

まずはベルモットが明らかに嘘をついている描写についてです。

  • 42巻、二元ミステリーでベルモットがジンに「工藤新一ってガキ知ってるか?」という問いに対し「さぁ知らないわ」と目をつむって返答しています。ベルモットは工藤新一のことを知っているため、明らかな嘘になります。
  • また、同じく二元ミステリーで車でコナンを連れて逃亡したベルモットは、コナンにボスのメールアドレスのプッシュ音を聞かれてしまいます。このとき、ベルモットは、シェリーは諦めてあげると目を瞑って発言していますが、後のミステリートレインでは、結局諦めていなかったことが判明します。これも諦めるとはいいつつも、心の中では嘘をついていたということになります。

 

これらのことを念頭において、他の描写を見てみると、ベルモットが目を瞑りながらのセリフは割と多いです。

  • 49巻のブラックインパクトにて、ウォッカの「毛利小五郎とFBIがつるんで…」という発言に対し、ベルモットは目をつむり腕を組んだ状態で「それはないんじゃない?」と返答
  • 58巻の赤と黒のクラッシュで、ジンの「その情報をくれたガキ…FBIに匿われているようだが…」に対する「相手は子供…今のところほおっておいても問題ないんじゃない?」という返答。

など、はぐらかそうとしているように見えます。

  • 78巻のミステリートレインでは、有希子の「大女優シャロン・ヴィンヤードはただの老けメイクだったなんて…」に対する「あら…結構辛いのよ?普段から老けたフリをするのって…」と返答したことや
  • 同じくミステリートレインにおける有希子の「そうまでして発注したソフト…幼児化を隠す訳と何か関係があるのかしら?」に対する「有希子、そこまでよ…」と目をつむって返答したことも、何か隠そうとしているのかもしれません。

ニューヨーク編のシャロンについてみてみると、

  • シャロンが、新一と蘭と有希子に苦労話をしているときに、目を瞑っていることがわかります。

 

この癖の解釈が正しい場合で、かつシャロンとクリスが同一人物の場合

クリスの話は作り話になるため、それをはぐらかそうとしているために目をつむっていると解釈できます。

 

一方、この癖の解釈が正しい場合で、かつシャロンとクリスが別人の場合、

クリスは存在するため、シャロンが話した悲劇のほうに嘘がある可能性があります。例えば両親が火災で亡くなったという話、ジョディや宮野夫妻の話のことを思い出しながら作った嘘という可能性も否定はできません。

そもそもシャロンとクリスは同一人物なので「同じ癖なのでは?」と捉える人が大部分だと思うので、もしかしたら別人に繋がる描写なのではないか?と頭に入れておいてもらえればと思います。

 

腕を組む

他にも癖らしきものがあります。それが電話の際に腕と足を組む行為です。

ニューヨーク編の最後のシャロンが有希子と電話している際のポーズについて、

シャロンと通り魔、つまりクリスが同一人物であれば、

FBIにおなかを撃たれたベルモットが、翌日お腹を押さえていると考えれば話はつながるのですが、78巻のミステリートレイン前日のベルモットからジンへの電話のポーズを見てみると、足の組む方向が違いますがニューヨーク編のシャロンと同じポーズをとっています。

 

私はこれを見たとき、ニューヨーク編で電話の最中にシャロンがお腹を押さえているのは

「シャロン=通り魔だから」ではなく、「シャロンと通り魔が別人で、かつ親子の癖が同じだから」でも通じる描写じゃないか?と思いました。

 

全体まとめ

若干解釈が都合良いかもしれませんが、ここまでの全体の考えをまとめると

  • 通り魔の変装目的は、赤井秀一を誘き寄せるための罠であり、短期の変装であるため、性格をトレースする必要はありません。そのため、通り魔の神様を恨めという発言は、ベルモット自身の考えの可能性が高いです。
  • シャロンと通り魔が同一人物なら、蘭に対する神様を恨め、という発言の意味は、嫌味を指し、
  • 別人なら、単純に別人として、神様を信じる信じないの違いが現れたと考えています。
  • そして、おまけの要素としてシャロンとベルモットには、嘘をついたり、はぐらかしたりするときに、目を瞑る癖があると考えています。
  • また、2人が別人であれば電話の最中におなかを抑えているのは、銃で撃たれた傷を押さえているのではなく、癖の可能性があると考えています。

 

エンジェル?

では、ここで、シャロンとクリスが別人なら

  • 通り魔と遭遇した翌日の有希子とシャロンの会話における「エンジェルとは何か?」
  • 同一人物だからこそエンジェルが蘭であり、二元ミステリーや裏切りのステージのエンジェルが通じるのではないか?

という疑問が生まれると思います。

 

それについては、別記事でも触れる予定ですが、ベルモットだけでなくニューヨーク編以降、シャロンにもエンジェルはできたと考えています。

簡単な解釈を話すと、「あの方」がシャロンであるケースです。

  1. お気に入りであるベルモットが通り魔に化けて、赤井秀一を殺害しようとしました。
  2. そして、ベルモットは命を落としかけました。
  3. しかし、何者か(新一と蘭)によってベルモットの命は助かりました。
  4. 何者かに助けられたことを知ったシャロンは、誰かは知らないけどベルモットを助けてくれたエンジェルがいる

というシャロン=「あの方」説に繋がってくるわけです。(シャロンとクリスが別人なら、クリスが助かったことを知っていること自体が、赤井秀一抹殺作戦を知っていることとなる。「あの方」は赤井秀一を恐れていることからも、抹殺作戦に関与していた可能性が高く、シャロンとクリスが別人であれば、シャロンが「あの方」であることが高まる)

 

また、メモを読んでいただければと思います。

-あの方, ベルモット編, 黒の組織考察
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